Vol.5: 2013.3.4
                           
私たちは今、原発・エネルギー問題、地震・台風・火山噴火等の自然災害、
世界恐慌、食料危機、マヤ歴、アセンションといった様々な 2012 年問題に
直面しています。その中で、80 年代からサハラ砂漠と欧米で瞑想、催眠、
セラピー、NLP を実践してきていて、日本の新興宗教の源泉であるインド哲学
やユダヤ密教等の研究者でもある Swami Guhen (スワミ グーヘン) が、これ
からどのように生きれば精神的平穏を得ることができるかについての具体的
な方法を伝授します。

************************************************************************
   "深遠なる意識の旅 / Journey into the Depth of Awareness"
          by Swami Guhen www.guhen.com
************************************************************************

『Swami Guhen 哲学考、その一/本当の自分とは』

皆さん、こんにちは。Swami Guhen です。

本メルマガは『深遠なる意識の旅 / Journey into the Depth of Awareness』
の第 5 号です。

本メルマガでは、今後、瞑想、悟り、セラピー、催眠、化学的に誘発された
精神状態、ヒッピー文化、カウンターカルチャー、サブカル、NLP、音楽、
舞踏、絵画、シャーマニズム、魔術、ユダヤ密教、錬金術、占星術、神話学、
その他の「意識を拡張する領域」に関して縦横無尽に語りながら、深遠なる
意識の旅をしていきたいと思っています。

最近の私のメルマガ「これが本物の NLP だ!」第 270 号『新フェーズ開始宣
言!/悟りの世界と日常生活の間の翻訳言語としての北岡ワーク』

http://www.creativity.co.uk/creativity/jp/magazine/special/270.htm

および本メルマガ『2013 年 3月 2 日付特別告知号』でもお伝えしましたが、
最近、ただ単に哲学的な宇宙論と人間論を語ることによってだけで、3 泊
4 日の合宿ワークで、参加者を悟りに導くことができるという方に出会いま
した。

私自身、首尾一貫して、NLP によって人に悟りを開かせることはできないが、
一度それを味わった人には、恒常的にその状態にアクセスさせることはできる
と主張してきていましたので、仮にもしこの方が、いわば演繹法的に、上か
ら、悟っていない人を悟りに引き上げることができるのであれば、その後は、
私の方法論で、いわば帰納法的に、下からその人の背中を押し上げ続けて、
悟りから二度と落ちないようにさせることができるので、その結果として、
多数の「永続的解脱者」を作り出すことができるのではないかと思い、この方
の 3 泊 4 日の合宿ワークに参加してみました。

結論として言うと、この方の「宇宙論、人間論」は「ほぼ完璧」でした。最新
の超ひも理論を基盤にして、グルジェフ、ブラヴァツキー風の壮大な宇宙生成
論と人間誕生論のシステムを「論理的、理論的に説明」した、ジュナーナ ヨ
ガ (知識の道) を通じた悟りの方法論でした。

この合宿ワーク中に一点洞察としてわかったことは、「悟りの世界と日常生活
の間の翻訳言語が Swami Guhen の NLP ワークである」ということでした。

言い換えれば、この方の方法論であれ、他の方法論であれ、いったんミニ悟り
を開いた後、「この世」に戻って来た後は、普通は、五感の刺激のアンカー
(条件反射) によって、元の悟っていない自分に戻ってしまう可能性が高いの
ですが、日常生活で起こっているすべての事象を悟りの世界とマッピングする
ことができる Guhen ワークを通じて、現象界で起こっているどんな事象を見
ても、恒常的な「悟りのフラッシュバック」を起こさせることができる、とい
う洞察が私に訪れました。

事実、合宿ワーク中に、演習の相手になった参加者のほぼすべての方は、私の
誘導質問に対して、「このようなワーク内で得る洞察は、本当にすごいが、社
会生活戻ったら、埋没して、忘れてしまう」と異口同音に答えていました。こ
の方々には、私は、「一度悟りの味を味わった人であれば、娑婆で 24 時間自
由にその味を再生することを可能してくれるのが Swami Guhen の NLP です」
とコメントさせていただきました。


以上を背景にして、Swami Guhen の新たな方向性と試みとして、この場で、
Guhen ワークは「悟りの世界と日常生活の間の翻訳言語」 であることを明示化
させていただいた上で、今後、本『深遠なる意識の旅』メルマガと『これが本物
の NLP だ!』メルマガの交互発行して、 北岡/Swami Guhen ワークを解説する
「辞書」もしくは「用語集」を提供させていただきたいと提案させていただきま
した。

この二つのメルマガの「交互発行」を本号のメルマガから開始させていただきた
いと思いました。本メルマガでは、「Swami Guhen 哲学考」を展開し、『これ
が本物の NLP だ!』メルマガでは、その哲学的考察の NLP の観点からの日常生
活への落とし込み方について考察されることになります。

本号の哲学考のテーマは、「本当の自分とは」です。

今号のメルマガでは、以下のトピックがカバーされています。

1) Swami Guhen 哲学考、その一/本当の自分とは

///////////////////////////////////////

1) Swami Guhen 哲学考、その一/本当の自分とは

Guhen 自身、子供のときから、他の子供たちのように、「本当の自分とは何か」、
「自分はどこから来て、どこに行くのだろう」といった哲学的命題について考える
ことが多々あったとは思います。

ただ、幼稚園のときに、身体/精神障害者の施設に 1 年間入所したときに出会った
「催眠」の体験がきっかけに、その後生涯を通じて、「変性意識状態」の研究家に
なりました。

この施設では、当時 5 歳の私は、他の子供たちから催眠にかけられるという非常に
興味深い体験をもったのですが、このとき、私は、椅子に座って、数人の子供たち
に囲まれていました。一人の子供が「今羊が一頭通っています。二頭目が通ってい
ます。三頭目が通っています...」と「催眠誘導」を始め、私が何十頭かを数え
た時点で、この子供は私に「今あなたは椅子から立ち上がります」と暗示を告げま
したが、私は立ち上がりませんでした。このとき子供たち全員が私を嘲り笑ったの
ですが、この体験が私のトラウマとなりました。

それ以来、小学校 4 年のときに別の施設に入所したのですが、このとき以来、
「デジャブ (既視現象)」を始めとする「超常現象」を数多く経験しました。

中学校からは「社会復帰」しましたが、中学生、高校生の頃は、この体と身長でサ
ッカーのゴール キーパーをしていましたが、 他のプレーヤーと頭をぶつけたとき
などは、「変性意識状態」に入り、教室に戻った後も、教師がこれから 20 分間喋
ることがすべて予めわかり、その教師がその通りのことを口にする、といった体験
をもちました。あるときには、体育の時間にハードル競争をしましたが、このとき
ハードルに足を引っ掛けて転倒したときもかなり深い変性意識状態に入り、自分を
見ている自分になったりして、自分がいったい今どこにいるかわからない、といっ
た、完全な時間と空間の歪曲を体験したりしました。

このような超常現象を繰り返して経験していく中で、「本当の自分」とは、日常生
活と超常現象の両方を超越している何かだという認識を、すでに無意識的にもてる
ようになっていたように思えます。

ちなみに、私が「哲学者」になったのは、高校時代、決定的な影響を受けた大江健
三郎の小説『日常生活の冒険』に登場する斉木犀吉をモデリングしたからだ、と言
えます。

犀吉は、単語帳のようなものをいつももっていて、どのような哲学的な質問をされ
てもそれを見ながら即座に答えられる青年ですが、私も、そのような人間になろう
とした嫌いがあります。(この斉木犀吉のモデルは、大江の義理の兄である伊丹十
三であることは、興味深いことです。)

この小説には、冒頭アフリカ北海岸の記述もあり、後半部では、主人公たちがロン
ドン、パリに赴くのですが、このような場所と地域に、私は、後年実際に住むこと
になります。(最近、テロ事件のあったアルジェリア イナメナスにも、仏語通訳と
して滞在したこともあります。)


さて、本メルマガのテーマ「本当の自分とは」の命題についてですが、1983 年の米
国西海岸オレゴンでの私の師匠への弟子入り以来の私の研究によれば、印哲の
一派、ベーダンタ哲学/心理学の主張がもっとも的を射ていると、考えてきています。

ベーダンタによれば、本当の自分としての「真我」 (アートマン)は、内側から順に
「至福、知性、記憶、気、肉体」の「五つの鞘」に囲われています。

つまり、本当の自分は、 自分の肉体でも、エネルギー (場合によっては、「エーテ
ル体」とも言えるかと思います) でも、記憶でも、知性でも、至福でもなく、それ
らの各鞘を見ている「観照者 (Witness)」である、と考えられています。

この構造は、タマネギの皮を剥いていったら、最後に残る芯は何もない状態と似て
います。

この観照者は、肉体を超越しているので、「生まれもしないし、死にもしない」こ
とは、仏陀の「般若心経」や老子の「道経」等に示唆されています。

この観照者としての真我は、白い雲に覆われつくされている青空と例えることがで
きます。この場合の雲は、不純物としての「思考」、「マインド」、「煩悩」等の
ことですが、人間は、皆、その不純物の後ろに鎮座している純粋な真我を、いつ
いかなるときでも、失うことなく、持ち続けていることになります。

ちなみに、ベーダンタの一派に、8 世紀のシャンカラチャリヤが創始した「アドバ
イタ (非二元論的) ベーダンタ」があります。シャンカラチャリヤの主張は、「アー
トマン(真我)」と「ブラーマン (宇宙原理または神)」は同一であるという「梵我
一如説」にあります。

私自身、シャンカラチャリヤは、徹底的に研究しましたが、「自分の中にある本当
の自分と、外側にあるとされている神は同一である」などという主張は、とんでも
ないことだと思いますが、仮にこのことが真だとしたら (そして、30 年間の私の
瞑想体験から言って、個人的に、この主張の妥当性を確認してきていると、報告す
ることができますが)、純粋な青空としての神は、実は、自分の一番近しい内奥に
生まれてから死ぬまで (あるいは生死を超えて永遠に) 存在していることになり、
神を求めて外側を探し求める必要性はいっさいなくなることになります。

また、Swami Guhen は、瞑想の目的は、生きている間に本当の自分は、「肉体、気、
記憶、知性、至福」のいずれでもないこということを体験的に知ることであると考
えています。

『チベットの死者の書』や、トランスパーソナル心理学者のケン・ウィルバーによれ
ば (『アートマン プロジェクト』を参照)、人間は、死んだ直後、神を見る (もっと正
確には、神になる) が、その至福状態に直面したときにもつ恐怖のために (たとえば、
まだ生きていたときに瞑想によって真の自分と自分の肉体は違うのだという認識を
もつ訓練ができていないので、自分と肉体とのあまりにも過度な自己同一化のため
に、死と誕生の間の中間スペースである『バルドー』のスペースで自分の体を見つけ
ることができず、パニックしてしまいます)、彼らの意識は低レベルの存在に戻ってき
始め、最終的には、身体レベルまで降りてきて、バルドーの旅を終え、再度生まれ変
わる、と言われています。

以上のことは、死んだ後生き返ってきた来た人はいないので、真であることは誰も
確認することはできないと思いますが、一方では、過去 30 年間、東洋的な瞑想を
続け、および、ヴィパサナ (観察) 瞑想の手段として NLP を使い続けてきた個人的
な実験結果から言うと、生きながらにして、生死を超えた純粋な観照者であり続け
ることは可能である、と報告することができます。

NLP では、この観照者になり続けるテクニックと、自分と五つの鞘は違うのだとい
うことを実感体感できるテクニックがあります。

これについては、近日発行予定の「これが本物の NLP だ!」新編第 1 号で考察し
たいと思っています。

http://archive.mag2.com/0000135976/

///////////////////////////////////////

以上、今号のメルマガはいかかでしたでしょうか?
ご質問やご意見がございましたら、info@guhen.com までお寄せください。

Swami Guhen の情報は以下で閲覧可能です。
http://www.guhen.com

このメルマガ最新号の内容は以下のサイトで読むこともできます。
http://www.guhen.com/newsletter/

本誌の無断転載は禁止されています。
(c) Copyright 2013, Swami Guhen. All rights internationally reserved.